2016/04/10

ちーちゃんのヒゲ

活きのよいヒゲを持った動物はペットでも野生で強い。
それはそれはとても強い。

実家で飼われているチーちゃんというイカした白ネコがいる。
常に何かと対峙している目線を家族に送り、しっぽは立派な巨木のごとくそそり立っている。
毛艶はまるでミンクのそれの如く光輝き、身体は隆々とした筋肉で構成されている。
そんなチーちゃんのヒゲは太く、ダリの髭の様に反り返っていて、ちょっとした虫なら簡単に串刺しにする。
だからコバエはチーちゃんのヒゲを恐れ、決してチーちゃんの周りを飛び回る事ない。
チーちゃんのヒゲはコバエホイホイなんかよりよっぽど効果があるのだ。
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僕はチーちゃんのそのおヒゲに触れてみたいと何度も思った。
しかしチーちゃんは決して触らしてくれやしないし、もし万が一何かの間違いで触れてしまったらそれはきっと”後悔”するに違いないと、神聖なものとして妙な信仰心のような気持ちまで僕は抱いてしまっているほどだ。

ある日チーちゃんのヒゲとそっくりなヒゲを雑誌でみた。
それは立派なヒョウが持つヒゲだった。
ヒゲだけではない。
遠い未来見つめながら、過ぎ去った過去に決別するようなその瞳は、窓から外を眺めるチーちゃんの瞳とそっくりだった。
その表情と瞳はまるで僕が知らない何かを知っているようだった。

僕が知らない何かを”彼ら”は知っているとして、それを僕が描く(僕は画家です。http://www.yamawakikosuke.com/)のならばそれは具象画だとしても立派な抽象画だと思った。

僕の絵はよく雑誌や画像でみるとフォトレアリズムだと言われ、
並べられた絵を生で観ると、
「奇妙な生々しい生き物の記録だ。」
「何かとは言い切れない絵画をまとったそれ。」
「あ〜あからさまなイメージを引用した捻くれたポートレートなのね。」
とか、良くも悪くも色々言われる。

それでも当たり前だが抽象画とは言われた事はなかった。
しかし、自分の中では具象画を描いてる意識は全くないし、むしろ抽象画を描いてるような意識が強かった。
その長年の心の中の疑問がチーちゃんとヒョウによってなんとなく理解出来たのである。

”知らない何か、わからない何か。
それを誠心誠意込めて想像して創造すること。具体化する事。”

表れるイメージの形式はなんでも良い。
その行為こそが抽象画と呼ばれた表現の根源であると確信している。
そして同時に素晴らしい具象画にもその言葉がすんなりと当てはまる。
もっと言うと遠い昔に具象やら抽象やらという言葉や概念は廃れていて、この言葉は絵画だうが、映画だろうが、小説だろうが、音楽だうが、すべての表現に当てはまるはずだ。
そんな根源なくして人を感動させるものを人が作れるはずがないでしょうから。

チーちゃんのヒゲはそんな根源の象徴として今日も僕の前で天に向かって反り返っているのです。
有象無双にいるコバエなんか近寄る事すら出来ないんですよ。

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次回のブログ更新は4月13日(水) 担当は狩野省吾です!

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